三井のオフィスの取り組み COLORFUL WORK PROJECT 三井不動産
うなぎ割烹 大江戸
若旦那
湧井浩之さん

日本橋料理飲食業組合 組合長の二永さん。
私が今務めている三四四会の会長も歴任されています。みんなから尊敬され、慕われている日本橋飲食業界のリーダーです。

日本橋 舟寿し
社長
二永展嘉さん

オフィスビルの直線的な並びが途切れると、そこには清々しい青もみじ。ビルの谷間で枝葉を揺らす様子は、まさに一服の清涼剤。まずは店構えでお客様を楽しませてくれる「日本橋 舟寿し」。優しい笑顔で出迎えて下さったご主人の二永展嘉さんは、奥様のご実家である「日本橋 舟寿し」の三代目を継いで27年。代々、家業を継ぐ方々が多い日本橋にあって、様々なご縁の連続で“日本橋人”となった二永さんにお話をお聞きしました。

日本橋の人達の良いところは “懐の広さ”。
頑張る気持ちさえあれば、受け入れてくれます。

ー若い頃に見た日本橋は、どんな街でしたか。

まさか自分が日本橋で働くことになるとは思ってもいませんでしたね。
学生時代は、妻の実家があったので何度か来ていましたが、その頃の日本橋は“大人の街”というイメージで、それなりのステータスがある方たちの社交場みたいに感じてましたね。

ーお店に入るきっかけは?

会社員として12年デパートに勤めておりました。結婚する前は家業を継ぐという話は一切なかったんですよ。それが、一軒家だった店舗をテナントも入るビルに建て替えることに決まりまして。気付けば私が休みの時に限ってタイミング良く打ち合わせが入ることが増えてきて(笑)。当時私はデパートでバイヤーをやっていたんですが、店舗の改装やデザインの打ち合わせでデザイナーと色んな話をしたり、割と似たようなことをやってたりしていたんですよ。そんなこともあって、建て替えの打ち合わせに参加しながら、ひょっとしたら私が店に入って活きる部分があるのかな、なんて思うようになりましたね。

−畑違いの業界に飛び込んで、どのようにお仕事を始めていったのですか。

最初は右も左も分からない、知っている方もいない。まずは、昔から働いているスタッフに溶け込みながら、この業種の習わしや仕事のやり方に慣れていくことから始めました。 自社ビルが竣工された平成3年はちょうどバブルがはじけた頃。不景気や経営の立て直しに地道に取り組みつつ、どうやったら日本橋と言う地域に溶け込んでいけるかと考えていたのが最初の数年間でした。

そんな中、うちの店の並びにある老舗の鰻屋として有名な高嶋屋さんの、当時まだご健在だった大旦那さんが時折うちの店にいらっしゃって、私に「三四四(みよし)会に入れ」と何度もおっしゃって下さったんです。三四四会とは、日本橋料飲組合の青年部なんですが、その時はそもそも「三四四会って何だろう?」と、さっぱりわからなくてね。 大旦那さんは、料飲組合の組合長を20年以上もやっていた方でしたから、きっとそういう場にいることが仲間を作るのに一番良い方法だと配慮して下さったんでしょうね。

−「日本橋人」となってから見た日本橋は、どんな街ですか

もうすっかり日本橋にいる時間の方が長くなりました。
一番に感じるのは、日本橋の人達の「懐の深さ」です。三四四会の会長を務め、今は料飲組合の組合長をさせていただいています。三四四会も料飲組合も本来は、日本橋で生まれ育った方々がつないできた、伝統のある会です。そこに私みたいに外から入ってきた者を組織のトップに据えるということに抵抗があってもおかしくないと思います。
ところが、逆に、会長に指名して下さり、受け入れて下さった。この地域に飛び込んで頑張ろうと思っていれば、前歴に関わらず「一緒にやろう」と広く受け入れてくれるのが日本橋という街であり、そこで代々商いを続けている人々の心意気だと思います。

−続いて、お店の特長やおすすめのお料理などお聞かせ下さい。

元々は、いわゆる“まちの寿司屋”としてやってまいりました。母である今の女将が、少しずつ、寿司屋の業態に加えてきちんとした和食の季節料理を食べていただける様に工夫をし、現在の「寿司割烹」というスタイルになってきたんです。
お寿司やお刺身の他に、旬の食材でつくるお料理をお出ししています。初夏の時期なら、お寿司はカツオやひかりもの、焼き物でしたら鮎が美味しくなってきますね。
お席についても、お寿司を楽しみたい方はカウンターで板前と会話をしながら召し上がっていただいたり、ゆっくり皆さんでお話をされたい場合には個室をおすすめしたり、お客様の状況に応じてご提案しています。2階の座敷をテーブル席にしたのは日本橋ではうちが早かったかなと思いますね。特に年輩のお客様に喜ばれていまして、その部屋を指定した予約も入る程なんですよ。

※2階の座敷のデーブル席(左)と、1階カウンター席(右)

変化する時代に合わせて、
お店も組合もしなやかに改革していくべきですね。

−日本橋の地域の活動について、教えて下さい。

平成25年5月から日本橋料飲組合の組合長となって5年目になります。
これまではいわゆる「旦那衆」が歴代、組合長を務めてきました。お店にはしっかりした番頭さんやスタッフがそろっているので地域の活動や業界の活動に専念できる環境にありましたが、時代の変化にともない、私よりも若い世代のメンバーではなかなかそういう時間が持てなくなりつつあります。
日本橋料飲組合の組合長といえば、ひとつの業界の代表として様々な会合やイベントに花を添える立場です。これからは、ひとりの人間が全てを担うのではなく、役員の皆で業務を分散できないかなと考えています。組合として改革をしながら次にバトンタッチをするのが私の役割かなと思っています。

−お店について、将来に向けて取り組んでいることはありますか。

オフィス街という場所柄、お仕事の延長線でご来店いただく方が多いですが、プライベートでも来ていただける店にしていきたいと思っています。最近ではSNSを使って、お店の情報を小まめに発信して個人のファンを増やせたらと思っています。私はITは全然ダメなので(笑)、詳しいスタッフに任せたり、外部の専門家の知恵を拝借しながら、少しずつ取り組んでいます。

−お忙しいとは思いますが、お休みはどんな風に過ごしていますか。

休みと言いつつも店のことや組合の行事などに充てることも多いですが、なるべく時間をつくって気分転換しています。
妻と一緒に出来るだけ“非日常”の空間で過ごしてリフレッシュしています。行き先は軽井沢が多いかな、東京からのアクセスが良いですから。計画は一切立てず、温泉につかってフワ〜っとしたりしてね(笑)。

※この情報は2018年4月現在のものです。