- 株式会社 小泉組
- 小泉太郎さん
日本橋は本石町で産湯を使った小泉太郎さんは、鳶を生業とする小泉組の4代目。御年85歳です。会社を息子さんに譲り、ご自身は会長職ですが、「じゃあ、ご隠居さんか」なんてことを言ってはいけません。小泉組といえば、日本橋を守ってきた江戸町火消し一番組の「い組」を継ぐ町鳶。粋な半纏をまとった瞬間、顔がキリリと引き締まり、背筋が一段と伸びます。江戸町火消しの鳶頭である小泉さんに、戦中戦後の子ども時代の話から、エッフェル塔の下で木遣りを披露したドキドキ体験、元気に暮らすための極意まで、幅広くお話を伺いました。
町鳶の家の長男として誕生。
焼け野原になった日本橋の復興に尽力した
ー小さいころは、どんなお子さんでしたか。
ガキ大将だったと思うよ。「思うよ」っていうのは、友だちがそう言うから。「太郎ちゃんはガキ大将だったけど、敵はいなかったね」って今も言われる。図体もわりかし大きかったし。まあ、勉強はしなかったけどね(笑)。
兄妹は6人で、長男だったから、弟や妹のおしめを畳んでた。子守りをしなくちゃいけないから、戦争が終わってからも野球とか楽しいことには参加できなかったな。
日本橋も空襲で焼け野原になっちゃって、当時は食べるものにすごく困ったんだよね。食い物がないから、旧制中学を出てから1年間は家業に入らず、常盤小学校の前にできた掘っ立て小屋のうなぎ屋に勤めたんだよ。みんな、ろくなもんを食べられなかった頃に、いつも白米が食べられたし、たまには残ったうなぎも食べられた。当時は、神田の闇市でおにぎりが10円、そんな時代だったね。
ー家業に入ったのは何歳からですか。
14歳になってから。最初は親父の手伝いから始まって仕事を覚えていったな。
焼け野原だった日本橋で瓦礫の山を起こして基礎をつくって、木造の建物を建てたけど、当時は作業車とか機械なんかないから、ぜんぶが腕力勝負だったよ。
コンクリートも手練りだったから、砂利と砂とセメントを買ってきて、鉄板の上でスコップを使って混ぜ合わせてね。何でも人力。ちなみに当時はセメントの袋が50kg、いまは25kgだよ。85歳の自分にとっても目方のうちに入らないよってね(笑)。いまは本当に楽になったね。
ー同時に、江戸火消しの梯乗りや纏振りの練習も始まったわけですね。
最初は、梯乗りが怖かった(笑)。
梯乗りは高い所でバランスを取っての演技なんだけど、要は腕力がないとだめだね。纏振りでは、おしりの筋肉を使って、下から突き上げるように振り回す。重さは20kgぐらいあるかな。だから全盛期には握力が80kgはあったよ。
纏は、桐の箱や竹のざるに和紙を張り、その上に胡粉を塗って燃えにくくつくってある。中央通りにある山本海苔店に飾ってもらっているから誰でも見られるよ。
ー現代の小泉組のことや鳶の仕事について教えてください。
いまは長男が社長で、孫も大学を出て会社に入ってくれた。男の孫が一人しかいなくて、本人も葛藤があったかもしれないけど、継いでくれるのはうれしいね。
小泉組は現在、職人が常時20人ぐらい。現場によって仲間のとこから人をまわしてもらったりして現場をまわってる。日本橋では昔から三越さんのお仕事が多いね。
町鳶の会社で東京都鳶工業会という業界をつくっていて、その仕事のほとんどが建築関係。いま盛んにオリンピックに向けて新しいビルを造ってるよね。建築現場の仮設の部分に当たる足場を組んだり、鉄骨を組んだり。高い場所で行う危険な作業が多いかな。
まだまだ古い家が残る日本橋。
団結しながら江戸町火消しの文化を残していく
ー現在の江戸町火消しの活動は?
江戸時代には「い組」の火消しは380人くらいいたと言われてるけど、いまでは私を含めて正規軍が4人しかいない。新年の出初式や消防職員の慰霊祭、昨年11月には1300人が参加して江戸町火消しの創設300年記念式典もやった。
昔は、木遣り歌は100ちょっとあったと言われてるけど、残っているのは40~50ぐらい。譜面はなくて、すべて口伝。若い人に伝えるために町会の会館で月2回ぐらい指導してる。木遣りは高い声じゃないと通らないから、たばこの吸いすぎは禁物なんだよな。
勉強はきらいだったくせに、いまだに母校の常盤小学校の校友会で副会長だから、春になると謝恩会に呼ばれて、木遣りを披露させられますよ(笑)。
海外遠征も多くて、イタリアのローマ、ドイツのリースとか各地に行ったね。パリのエッフェル塔の下では若くてきれいなシャンソン歌手の隣で、緊張しながら木遣りをうたったりも(笑)。
ー地元の日本橋ではどのような活動をしていますか。
老舗の跡取りの結婚式ではお祝いに木遣りをうたうことが多いし、新年には店先にその店の従業員全員が出てきて、本格的な木遣りをうたい、「お手を拝借!」とやったりしているよ。
日本橋というと、オフィスや商業施設の新しいビルが印象的だけど、まだまだ古い家が残っていて、町会も活発に活動している。町が団結してるのがいいね。この日本橋で生まれ育って本当によかったと思うよ。
ー現役の鳶頭として活躍する小泉さんの元気の秘訣はなんですか。
81歳のカミさんと一緒に元気に暮らしてるよ。
特に秘訣ってものはないんだけど、食べ物かな。カミさんが野菜を食わせるんだよ。昔はサラダなんて食べる習慣がなかったから、最初は「おれはヤギじゃねえってんだよ」って言っていたな(笑)。
コーヒーも好きだね。柄じゃないけど、朝は洋風のテーブルでトーストとコーヒー。コーヒーは自分がサイフォンで淹れてる。なかなか上手いんだよ。まあ、ずいぶん割ったけどね(笑)。
それから、常磐小学校の同級生たちも元気な人が多い。毎年、クラス会をするけど、40人のクラスの半分ぐらいは出席するかな。いまだに「太郎ちゃん」「○○ちゃん」って昔の愛称で呼び合ってるよ。