三井のオフィスの取り組み COLORFUL WORK PROJECT 三井不動産
株式会社 小泉組
四代目
小泉太郎さん

何事も事の大小に関係なくよく相談にも乗ってくれるし、世話好き。次期町会長候補。大相撲出羽海部屋と永年交流があり、地元のわんぱく相撲で力を発揮されています。

大勝軒
高橋一祐さん

その地域に暮らす人や働く人たちに愛されてきた庶民的な中華料理店を、愛着を込めて「町中華」と呼び、最近ブームになっています。お寿司や天ぷら、鰻など高級料理店が多い日本橋にも、働く会社員たちの胃袋を支えてきた「町中華」がありました。それが、日本橋本町一丁目にある中華料理店「大勝軒」。残念ながらこの4月で閉店してしまいましたが、3代目の高橋一祐さんに、お店のこと、そして、30年間続けているわんぱく相撲の指導のことなど、たくさんお話していただきました。

子どものころは路地がたくさんあって、
三味線や小唄が聞こえてきた粋な街でしたよ

ー生まれも育ち日本橋だそうですが、どんなお子さんでしたか。

ひとことで言うと、悪ガキだよね(笑)。
公園もないから、通りで遊ぶか、三越や白木屋で遊ぶぐらい。小腹がすくとデパートの地下の食品売り場で試食したりして。「また来たな、こいつら!」って怒られたりしましたね。

当時、うちの裏のほうに本町湯という銭湯がありました。営業前に特別に入れてもらってたのかなあ、脱衣場にあった大きなロッカーでかくれんぼしたことを覚えています。

あのころの日本橋は路地がいっぱいあって、そこから三味線が聞こえてきたり、黒板塀の料理屋さんがあったり。まだ木造の家がいっぱいありましたからね。昭和30年後半から40年代、いい雰囲気の町並みでした。

※昔の店舗の様子。取り上げられた雑誌などもズラリ。

ーお店を継ぐことを意識していましたか。

それはまったくなかったですね。ちっちゃいときから親父が働く姿を見ていて、出前をちょっと手伝ったりもしましたが、高校時代は相撲とか柔道とか部活ばっかりでした。

特別に考えてはいませんでしたが、高校卒業後は調理師専門学校に通って、その後、3年近く立石にある叔父の中華料理店で修行し、それからずっと店一筋です。

昔は出前が主流。周辺の会社にも出前しましたが、特に雀荘の出前が半端じゃなかった。昭和40年代当時は出前持ちが4、5人いたくらいです。夕方に出前して、また夜にも注文が入って、という感じでめちゃくちゃ忙しかったようです。

こういう雰囲気の店ですから、お客さんは男性ばっかりでした。それがここ7、8年、毎月のように雑誌とかテレビとかに取り上げてもらって、最近では「町中華」でまたブームに。その“火付け役”のようになったもんだからそれ以降、女性のお客さんも増えていきました。

※代々受け継がれてきた製麺機(左)と、長年使用してきたオーダーを見分けるためのカラーチップ(右)

ー人気のメニューは何でしたか。

やっぱり定食ですね。A定食はラーメンと半炒飯のセット。B定食はラーメンと半炒飯と半餃子。ラーメンと揚げシュウマイと半ライスという定食もあった。男性のお客さんはほとんどこれでしたね。

定食を作ったきっかけは20年ほど前。当時は半炒飯なんてないから、お客さんたちがラーメンのほかに炒飯を1つ頼んで分けて食べているんですよね。「だったらこっちで半分に分けて……」って親父に言ったら、「そんなのやんなくていい!」って。頑固ですからね。でも、親父が入院したすきに、勝手に定食メニューを作っちゃった(笑)。合羽橋にお盆を買いに行ったりしてね。親父が退院してきたときには、すっかり人気メニューになってたんで、文句は言われませんでしたけど(笑)。

日本橋で働く人たちに支えられて、創業以来、85年間やってこられたと思っています。
インターネットもいいけれど、町の中華屋なんでやっぱり「口コミ」の力が大きかった。ある会社では女子社員が言った「餃子が美味しい」が広まって、その会社の人たちは餃子ばっかり(笑)。夜の宴会コースに餃子は入ってないんですが、その会社だけは特別に餃子を入れてあげたりしてね。

わんぱく相撲の指導を続けて30年。
「負ける悔しさ」が子どもたちを成長させるんです

ーわんぱく相撲の指導を始めたきっかけは?

30年前ぐらいに中央区で「わんぱく相撲」が開催されることになり、常盤小学校の指導をしていた高校時代の先輩の後を引き継ぐ形で始めました。同じく高校時代の遊び仲間で相撲取りになった出羽ノ郷でわのさとにも協力してもらって子どもたちに相撲を教えてきました。

大会は5月半ばにあるので、練習は4月終わりから週2回ぐらいのペースで行います。授業が終わった子たちから講堂に集まって、正味1時間ぐらい稽古をします。

出羽ノ郷でわのさとが引退してからは、出羽海部屋の現役力士2、3人に来てもらって、子どもたちに相撲を教えてもらっています。

30年の間に、都大会に勝ち進んだ子たちもいるし、1人ですが全国大会に出場した子もいました。
稽古を頑張る子どもたちに何かご褒美をあげたいと思い、毎年4月29日の祝日に本物の「ちゃんこ」を作ってあげています。その日は朝から店の厨房でスープを取って、つみれを作って仕込んだちゃんこを大鍋4つか5つに入れて、ガス台も用意して、車で学校まで運びます。練習が終わった子どもたちに食べてもらう、というのをもう10年は続けているかな。毎年150人分は作ってますね。子どもたちだけでなく、親も喜んでくれます。

ー相撲を通して子どもたちに学んでほしいことはありますか。

最近の子どもたちは「おれが、おれが」という子はいなくて優しい子が多いですね。
日常生活の中では体と体がぶつかり合うという経験はなかなかできないから、けんかではなく、スポーツとして子どもたちに経験させてあげたいと思っています。

常盤小学校は英語を主にしている学校です。勉強ももちろん大事ですが、ハートが強くないといけないと思うんです。それにはスポーツが必要!しっかりご飯を食べて、一緒に体を動かします。

相撲では勝つ喜びよりも、「負ける悔しさ」を学んでほしいと思っています。
相撲が強い弱いじゃなくて、「負ける」ことを踏み台にしてハートを強くして、これからの人生をしっかり歩んでいってほしいですね。

ーこの先のことについて教えてください。

私も体が健康である限り、ずっと指導を続けていきたいと思っています。
うちの子が小学生だったころからPTAを12年間やって、その後も相撲を教えてきて、たくさんの子どもたちと知り合えたことが財産ですね。

小学校を卒業してからも、店にご飯を食べに来てくれたり、成人して酒を飲みに来てくれるんですよ。今回、お店を辞めることを知った子どもたちがたくさん来てくれてうれしかったです。でも「またおいで」って言えなかったのが寂しかったですね。お店については未定ですが、悔いを残さないようにしっかり思案中です。

※この情報は2019年5月現在のものです。